オマージュ

 詩が好きだ。えらいロマンチストやんと思われるのが小っ恥ずかしいので、何となく秘密にしている私の一面だ。まあ好きと言っても、嫌いじゃないで、程度ではある。茨木のり子の詩や尾崎放哉の自由律俳句も好きだ。和歌が出てくる古典の授業も好きだった。百人一首は未だに一つも言えないが。

 古典の授業でよく覚えているのが「本歌取り」という和歌の技法だ。有名な古歌の1句か2句かキーワードを入れて歌に奥行きを持たせる技法。授業でそれを聞いた時、「そんな昔からオマージュってあったんや〜」という気持ちともう一つ、別の事が気になった。教養のない昔の庶民は和歌を楽しめなかったんとちがうん、という事だった。色んな和歌を知ってる人は教養があって素敵!という価値観やろか。何かを楽しむのに教養が必要なら、学校の勉強も必要かもしれんな。そんなことも少し思った。

 それから10年、新古今和歌集が出来た頃から数えると800年が経ち、僕はApple Musicで音楽を聞いていた。令和の勅撰歌集だ。その時聞いていたのはマハラージャンのセーラ⭐︎ムーン太郎という曲だった。なんとなく良いな、セーラームーン太郎て何なん、ベース格好良いな。そんな程度の感想しか持てない自分だったが、何せミーハーなのでしばらく同じ曲ばかり聞いていた。

 飽きる程聞いたころに教えてもらいやっと知ったのだが、この曲はエリッククラプトンのレイラという曲のオマージュだった。確かに、ギターで全く同じメロディーがあるし、サビもセイラームーン太郎とレイラ寄りの歌い方をしていた。気付かなかったのではなく、元の曲を知らなかったので分からなかった。洋楽なんて聞かない庶民なので。

 映画だと、ララランドを観たときは心動かされ感動したが、精一杯の感想といえば、それでも恋がしたくなっただとか、パフォーマンスが素敵だっただとか、エマストーンが可愛かっただとかその程度だった。

 数日経ってから古い映画でも観ようかと「雨に唄えば」を偶然にも観た時だった。ララランドにそっくりなシーンがいくつもあるやん!実は、ララランドは雨に唄えばなど名作映画のオマージュが盛りだくさんだったのだ。気付かない、というより、知らへんのよ。

 何かを楽しむのに必要な教養は、勉強しても身に付くものではなかったのだ。趣味に時間をかけている人を素敵!と思うのは、その経験が教養になっているからかもしれない。私も好きなことに時間を惜しまない人でいたい。