思い出し笑い
小学生の頃の天然な友達のトークで、いまだに思い出し笑いが込み上がるエピソードがある。ただ、それを話すには僕なりに、何が面白いと思っているかについて話してからでないといけない。
笑いとは裏切りだ。笑いの教科書があるとすれば第1章にある内容だ。緊張と緩和。ボケとツッコミ。
例えば漫才の代表的なくだりとして、
「前列のお客さんも右からべっぴんさん、べっぴんさん、ひとつ飛ばしてべっぴんさん。」
「なに飛ばしてんねん!」
というものがある。非常に分かりやすい裏切りである。皆んなを褒めてくれるかと思いきや1人をあからさまに褒めずに、暗に美人でないと言ってしまう。裏切られた。しかしこのくだりも有名になりすぎるとベタになってしまい、裏切れていない。今なら、
「べっぴんさん、べっぴんさん、1人飛ばしてべっぴんさん」
「なに飛ばしんてんねん!……(指差しながら)飛ばすならこの人やろ」
「いや失礼やなおい!!」
とこんな感じかな。裏切りの裏切り。皆んなが裏切るだろうと予想がついてる上での、更に裏切り。
笑いの文化も進みすぎるとそれが必要になってくる。分かりやすいのがぺこぱだ。昨年のM-1のタクシー運転手ネタでは、
「キキーッ。」
「おいどうしたんだ。」
「休憩です。」
「いや、きゅーけーいは取ろう!」
「じゃあスッキリしたんで出発しますね。ブーン。ウワ!!キキーッ。」
「どうしたんだ。」
「休憩です。」
「いやさっき取った休憩は短かった。」
まさに裏切りの裏切りだった。特に2つ目は、いやさっき取っただろ!というオーソドックスなツッコミを連想させながらそれをさらに裏切っている。普通の感覚なら「いやさっきの休憩は短かった」としてしまいそうなところに「取った」の一言を加えている。明らかにベタなツッコミを連想させる為で、裏切りの裏切りを狙った台本だ。
そして、その天然な友達のエピソードトークが裏切りの裏切りだった。
「昨日さー!サッカー終わった後、お腹すいたなー思って、家にパンあってさ。コンビニとかでよくあるソーセージ挟んでるパンあるやんん!?あのタイプのあって食べてんけど、
普通ソーセージやと思うやん!?
挟まってるやつ。
何やったと思う???
…ソーセージやってん。」
「いやソーセージやったん
かぁ〜〜〜〜〜い笑笑」