読書感想文(まんがアトム博士の相対性理論)

まんがアトム博士の相対性理論という、手塚治虫が子ども向けに書いた30年前の本がある。ふと実家に帰るとこの本を見つけた。小学生だった頃に読んではみたものの、よく分からないままにしていたことを思い出した。大人になった今、改めて読み直し、ぼんやりと理解したので、みんなにも共有しようと思う。つまりこれは読書感想文だ。

相対性理論という論文はいわば前編と後編の二つがある。ひとことで言えば、前編にあたる特殊相対性理論は「慣性の世界では、動く物は時間が遅くなり、質量が重くなり、長さが進行方向に縮む」というもので、後編にあたる一般相対性理論は「加速度(つまり重力)がかかると時空が歪む」というものだ。これからE=mc^2(E:エネルギー、m:質量、c:光速)という公式が導かれるらしい。これらが何に役立つかというと、原子力発電や、時空の歪みも計算することで正確なGPSが実現されている。

この結論に至る理屈が難しく、大まかに説明すると、光速はどんな時も30万km/sだから、例えば10万km/sで運転する車のヘッドライトから出る光が40万km/sでなく30万km/sになるためには、そうなっていないとおかしいからだ。

そういえば小学生のときも、ここが分からなかった。どうして光はいつでも30万km/sと言い切れるのか。もし30万km/sを超えられる物質が存在するならタイムマシンが作れるらしいが、なぜタイムマシンは出来ないと言い切れるのか。

話は逸れるが、幼なじみのひとりがsnsで「慣性ってどういうわけでおこるんだろう?」と純粋な疑問を投稿していた。確かにそうだ。慣性がどういう原理で起こるかなんて考えたことがなかった。「昔の偉い人がそう決めたからだよとか、そんなん要らんねん!」と回答に返信していたが、そうなのよ、そういうことが聞きたいんじゃないのよ。

そこで私も調べてみた。どうやら、この世に座標を想定してみて、慣性というものがあるとした前提で物理学を考え始めているらしい。つまり、この世の全てが上手く説明できるから、慣性の法則は成り立つと一旦しましょう、となっているらしい。本当に、昔の偉い人がそう決めたのだった。

話は戻り光速は不変というのは本当かについてだが、これも同じでそう仮定すると上手く説明できるから正しいだろうとされているらしい。この前提だとあらゆることが説明できるので、否定されない内はこの理論は正しいでしょう、と認められるのが物理学ではよくあることだそう。

アインシュタイン相対性理論で慣性の世界でのニュートンの運動法則を否定した。というより、厳密に計算し直した。もし新しい理論でアインシュタインを否定できるなら、そのときはタイムマシンが出来るかもしれない。

馬鹿ばかりでうんざりだ

馬鹿ばかりでうんざりだ。頭が悪いから俺の能力を理解できないのだ。アルバイト先のコンビニで客と揉め、首になった。店長は俺の有難さを分かってない。俺がいないと完璧なホットスナックの配置を誰が管理できるんだ。

昔から俺の事をよく理解できる人はいなかった。親も中学の教師も地元の高校を勧めてきたが、俺が何の目的もなく進学する他の奴らと同じ様に見えていたのが気に食わなかった。その反発心から寮制の高校に進学した。卒業後はフリーターを何年か経験した。気まぐれで、プロ雀士の試験を受けてみると一発合格した。天職だと思った。しかしデビューしてからは引きが悪く、3年ほど粘ったがまた元のフリーターに戻り、その生活をずるずると続けていた。もう少し親からの資金援助もあればトップ雀士だったはずだ。

バイト帰り、趣味の競艇で勝った金でスーパーのパック寿司とビールを買う。寿司は半額になるまで待つ。これが資産経営だ。俺が政治家になったらすぐに国債はゼロにできる。

そこで俺は立ち上がった、一念発起だ。地元の市議会議員に立候補したのだ!俺の人生はこれから始まる。大器晩成とはよく言ったもので、今までは周りの環境に恵まれなかっのだ。自分の人生は自分で開く。失言してしまう馬鹿と頭の硬い年寄りばかりが当選するんだ。まだまだ若手の俺が当選しないはずがない。

時代はネットだ。SNSを上手く活用する者がこれからを生き抜くことができる。ツイッターにアカウントを作成し、とりあえずプロ雀士だった頃の知り合いをフォローしまくる。1000人近くフォローして、フォローが返ってきたのは307人。こいつらがリツイートしないから俺もフォロワーが増えない。気の利かない奴ばかりだ。「選挙活動にかかる経費も税金。選挙はお金ではなく熱意と行動力。」とツイート。いいねは自分で押した1から増えない。

選挙管理委員会から連絡があった。選挙広報に載せる資料を提出しないのか、というものだった。チャート図にびっしりと公約を書き込んでいるあれか。他の候補達は本当に馬鹿ばかりだ、広報なんてシンプルに書いときゃいいんだ。俺が当選したあかつきにはそういった無駄を全部無くしてやる。何せ俺には強い信念がある!それが伝われば俺も晴れて政治家だ。そして選挙広報には「若い人!頑張る人を応援!無所属中井たかあき53才」とだけ走り書きを提出した。しばらく経った公示の日に選挙候補の一覧が広報された。他と比べるとやけに白地が多い自分の枠はたしかに目立つが、質量はなく、ふわふわと浮いているようにも見えた。

オマージュ

 詩が好きだ。えらいロマンチストやんと思われるのが小っ恥ずかしいので、何となく秘密にしている私の一面だ。まあ好きと言っても、嫌いじゃないで、程度ではある。茨木のり子の詩や尾崎放哉の自由律俳句も好きだ。和歌が出てくる古典の授業も好きだった。百人一首は未だに一つも言えないが。

 古典の授業でよく覚えているのが「本歌取り」という和歌の技法だ。有名な古歌の1句か2句かキーワードを入れて歌に奥行きを持たせる技法。授業でそれを聞いた時、「そんな昔からオマージュってあったんや〜」という気持ちともう一つ、別の事が気になった。教養のない昔の庶民は和歌を楽しめなかったんとちがうん、という事だった。色んな和歌を知ってる人は教養があって素敵!という価値観やろか。何かを楽しむのに教養が必要なら、学校の勉強も必要かもしれんな。そんなことも少し思った。

 それから10年、新古今和歌集が出来た頃から数えると800年が経ち、僕はApple Musicで音楽を聞いていた。令和の勅撰歌集だ。その時聞いていたのはマハラージャンのセーラ⭐︎ムーン太郎という曲だった。なんとなく良いな、セーラームーン太郎て何なん、ベース格好良いな。そんな程度の感想しか持てない自分だったが、何せミーハーなのでしばらく同じ曲ばかり聞いていた。

 飽きる程聞いたころに教えてもらいやっと知ったのだが、この曲はエリッククラプトンのレイラという曲のオマージュだった。確かに、ギターで全く同じメロディーがあるし、サビもセイラームーン太郎とレイラ寄りの歌い方をしていた。気付かなかったのではなく、元の曲を知らなかったので分からなかった。洋楽なんて聞かない庶民なので。

 映画だと、ララランドを観たときは心動かされ感動したが、精一杯の感想といえば、それでも恋がしたくなっただとか、パフォーマンスが素敵だっただとか、エマストーンが可愛かっただとかその程度だった。

 数日経ってから古い映画でも観ようかと「雨に唄えば」を偶然にも観た時だった。ララランドにそっくりなシーンがいくつもあるやん!実は、ララランドは雨に唄えばなど名作映画のオマージュが盛りだくさんだったのだ。気付かない、というより、知らへんのよ。

 何かを楽しむのに必要な教養は、勉強しても身に付くものではなかったのだ。趣味に時間をかけている人を素敵!と思うのは、その経験が教養になっているからかもしれない。私も好きなことに時間を惜しまない人でいたい。

柔軟な大人になりたい話

〜生ハムとツバスの前菜〜

 「進化って成長とは違うのよ。」彼女は最近愛読している進化論について書かれた本の話をしている。前菜には成長するとブリになる出世魚のツバスが入っていた。

 今日は久しぶりに近くの美術館に来た。ちょうどお昼時なので併設されているフレンチレストランに入ったのだった。カフェのようなお店で、割りと手頃なランチのコースがあったから、それにした。

 他の動物に可愛いとか可哀想とか思うようになったのは生物的に不便だよね、何でそうなったんだろう?と彼女が純粋な疑問を口にした。僕は、団体行動するのに「共感」が重要になったって聞いたことがあるけど、その時に出来た感情かもね、と言った。

 

〜ワタリ蟹の冷製ポタージュ〜

 スプーンでひとすくいして、口ではむっと覆うように飲んだ。美味しい。でもフレンチなんかいつもは食べないので、どうも手つきが慣れない。

 「煮詰まりたくないの。」意外な組み合わせの、このポタージュに入っているわらび餅の事ではなかった。昨夜から彼女が話していた言葉だ。同じ環境で歳を取っていき、発想や価値観が凝り固まっていくことを「煮詰まる」と言った、彼女なりの表現だった。

 彼女の心配はすごく理解できた。そこには、コミュニケーションを図る為の見た目だけではない、心からの共感があった。昔からこんな大人になりたいなと思った人は常に何かに挑戦して変化している人だったし、反対に、こんな大人になりたくないなと思った人は柔軟性のない停滞している人だった。それを心配してる限りは君は大丈夫だよ、と思った。

 

〜鯛のポワレ(魚料理)〜

 器用貧乏だねと言われた事がある。高校生の頃だ。それから何かをそこそこ上手くこなしたり、2位を取る度に落ち込んだ。ある種の呪いのように、その言葉が思い返されるのだった。しかし器用貧乏も良い事かもしれない。三日坊主も非難的な言葉だけど、何もしないよりとにかく始められる人ってめちゃくちゃすごいのではないか!?そう考えると、器用貧乏で三日坊主でミーハーな自分の事を少し好きになれた気がした。

 

〜コーヒー〜

 いつからか、食後のドリンクは必ずコーヒーを頼むようになっていた。僕も煮詰まりつつあるのかしれないな。これからは紅茶にしてみるのも良いかもしれない。最後のコーヒーを飲みながらそう思った。思い返せばいつもと同じように彼女は肉料理を、僕は魚料理を選んでいた。

思い出し笑い

小学生の頃の天然な友達のトークで、いまだに思い出し笑いが込み上がるエピソードがある。ただ、それを話すには僕なりに、何が面白いと思っているかについて話してからでないといけない。

笑いとは裏切りだ。笑いの教科書があるとすれば第1章にある内容だ。緊張と緩和。ボケとツッコミ。

例えば漫才の代表的なくだりとして、

「前列のお客さんも右からべっぴんさん、べっぴんさん、ひとつ飛ばしてべっぴんさん。」

「なに飛ばしてんねん!」

というものがある。非常に分かりやすい裏切りである。皆んなを褒めてくれるかと思いきや1人をあからさまに褒めずに、暗に美人でないと言ってしまう。裏切られた。しかしこのくだりも有名になりすぎるとベタになってしまい、裏切れていない。今なら、

「べっぴんさん、べっぴんさん、1人飛ばしてべっぴんさん」

「なに飛ばしんてんねん!……(指差しながら)飛ばすならこの人やろ」

「いや失礼やなおい!!」

とこんな感じかな。裏切りの裏切り。皆んなが裏切るだろうと予想がついてる上での、更に裏切り。

笑いの文化も進みすぎるとそれが必要になってくる。分かりやすいのがぺこぱだ。昨年のM-1のタクシー運転手ネタでは、

「キキーッ。」

「おいどうしたんだ。」

「休憩です。」

「いや、きゅーけーいは取ろう!」

「じゃあスッキリしたんで出発しますね。ブーン。ウワ!!キキーッ。」

「どうしたんだ。」

「休憩です。」

「いやさっき取った休憩は短かった。」

まさに裏切りの裏切りだった。特に2つ目は、いやさっき取っただろ!というオーソドックスなツッコミを連想させながらそれをさらに裏切っている。普通の感覚なら「いやさっきの休憩は短かった」としてしまいそうなところに「取った」の一言を加えている。明らかにベタなツッコミを連想させる為で、裏切りの裏切りを狙った台本だ。

そして、その天然な友達のエピソードトークが裏切りの裏切りだった。

「昨日さー!サッカー終わった後、お腹すいたなー思って、家にパンあってさ。コンビニとかでよくあるソーセージ挟んでるパンあるやんん!?あのタイプのあって食べてんけど、

普通ソーセージやと思うやん!?

挟まってるやつ。

何やったと思う???

 

…ソーセージやってん。」

「いやソーセージやったん

かぁ〜〜〜〜〜い笑笑」

 

かわいいひらがなランキング1位はぽなのかぷなのか

今年のゴールデンウィークは例年より有給を多く取らされ、しかし出掛けられないので暇だった。そこでブログでも書くかと思い立ち、snsで募集したところ頂いたお題が今回の「かわいいひらがなランキング1位はぽなのかぷなのか」、である。

なんだこれは、意味が分からない。いや、分かる。なんとなく分かる。まぁ、ぽじゃないかな。発音した顔の事も考えたらぷか。ぷだな。

ブログの下書きはここで止まっていた。

気付けばあんなに暇を持て余していたゴールデンウィークも終え、1週間が経とうとしていた。なんだこれは、意味が分からない。あと、なぜぽとぷの2択なんだ。

 

続きを書いていく。かわいいとはそもそも何だろう。

小学生の頃クラスにかわいこぶりっ子ちゃんがいた。彼女の口ぐせは「ぷ」であった。かわいいね。ちなみに芸能人で例えると千秋には似ていなくて、にゃんこスターアンゴラ村長に似ていた。

しかし僕はぶりっ子というものが苦手だった。あの猫なで声には鳥肌が立つし、「ふにゅ?」などと言われたときはさすがに苦笑した。小学生でも苦笑いってできるんだな、と子どもながらに思った。

大人になってもまだぶりっ子が多くいるとは、あの頃の僕は考えてもいなかった。思春期の頃に初めてぶりっ子な大人を見た時、きっついなと思った。

時は流れ僕もすっかり社会人だ。成人した僕はぶりっ子な大人を見たときどうだったかと言うと、これが意外にも何ともなかった。むしろ可愛いと思った。

これは明らかに僕が成長し、余裕が生まれたからだと思う。そもそもどうしてぶりっ子が苦手だったんだろう。大げさだがそれは、自分の思い通りに周りをコントロールしようとしている姿勢や、男なんて手玉に取れるよという気持ちが透けて見えるように思え、嫌悪感があったのだろう。

今はそんなことは思わない。それに手玉に取られていなくても一旦そういう事にした方が物事はスムーズに進むし、みんな気持ちいい。最近はむしろぶりっ子が健気に思えて、かわいい。自分のお母さん世代の上司でも職場でキャッ😝なんて言っているのがすごくかわいい。

結局何がかわいいかなんていうのも、自分次第だった。

だから、僕にとってかわいいひらがなランキング1位はぽでもぷでもない。毎朝その上司がデスクのパソコンの起動ボタンを押しながら言う「ぴ」だ。

髭男とハライチの岩井

僕には日本のバンド、特にインディーズが好きな友人がいる。彼はネタツイッタラーとしても活動していて、今日もTwitterのどこかでネタツイを懸命につぶやいてるはず。

そんな彼とofficial髭男dismの話になった。

僕は髭男のことは好きだ。というより、まあ普通に好き。食べ物で言うと、カレーとか豚の生姜焼きみたいな、そういう感じだ。周りの人もみんな好きだし。

だから彼が髭男のことを嫌いだ、と言ったとき、

出た!ネタツイッタラーのひねくれ!

と思った。好きでもないよって人は居ても、嫌いって人は居ないでしょ。なんせカレーだ。

どうせ天邪鬼なことを言うだろうなと思いながら、理由を聞いた。

「メジャーデビューする前から聞いてたことあるけど、あんなんじゃなかった。どうせこういうのが好きなんだろ?こういうのが売れる音楽なんだろ?って分かっててやってるのがきしょい。」

思いの外に理由がちゃんとしていたので、納得してしまった。確かに音楽には売れるコード進行やウケるフレーズがある。それを意識的に使っているのが見え見えだと、音楽好きの彼としては冷めるだろう。

 

テレビでも売れる法則・バズる法則はいくつかあると思う。例えばEXITみたいに一見斬新だけどネタの構成はベタとか。

お笑いドリームマッチでハライチ岩井さんが塩の魔人のネタを、バズる宣言した上でバズらせていた。ただ岩井さんはこれまで「お前らがお茶の間に媚びた、お笑い風の、自分を騙しても売れるタレントをしてたこと、忘れねえからな。」と毒付いていた。媚びたお笑いを冷めた目で見てきただけに、世間はこういうのが好きなんだろ?バズろうと思えばバズれるんだよバーカ、と言われてる気がせんでもないな、とネタを見ながら感じた。

あと、そういう事を言っていた岩井さんが媚びたネタをしている時の、澤部さんの苦々しい顔が個人的にすごくおもしろかった。早くゴッドタンとかでドリームマッチのネタの話してくれないかなぁ。