柔軟な大人になりたい話

〜生ハムとツバスの前菜〜

 「進化って成長とは違うのよ。」彼女は最近愛読している進化論について書かれた本の話をしている。前菜には成長するとブリになる出世魚のツバスが入っていた。

 今日は久しぶりに近くの美術館に来た。ちょうどお昼時なので併設されているフレンチレストランに入ったのだった。カフェのようなお店で、割りと手頃なランチのコースがあったから、それにした。

 他の動物に可愛いとか可哀想とか思うようになったのは生物的に不便だよね、何でそうなったんだろう?と彼女が純粋な疑問を口にした。僕は、団体行動するのに「共感」が重要になったって聞いたことがあるけど、その時に出来た感情かもね、と言った。

 

〜ワタリ蟹の冷製ポタージュ〜

 スプーンでひとすくいして、口ではむっと覆うように飲んだ。美味しい。でもフレンチなんかいつもは食べないので、どうも手つきが慣れない。

 「煮詰まりたくないの。」意外な組み合わせの、このポタージュに入っているわらび餅の事ではなかった。昨夜から彼女が話していた言葉だ。同じ環境で歳を取っていき、発想や価値観が凝り固まっていくことを「煮詰まる」と言った、彼女なりの表現だった。

 彼女の心配はすごく理解できた。そこには、コミュニケーションを図る為の見た目だけではない、心からの共感があった。昔からこんな大人になりたいなと思った人は常に何かに挑戦して変化している人だったし、反対に、こんな大人になりたくないなと思った人は柔軟性のない停滞している人だった。それを心配してる限りは君は大丈夫だよ、と思った。

 

〜鯛のポワレ(魚料理)〜

 器用貧乏だねと言われた事がある。高校生の頃だ。それから何かをそこそこ上手くこなしたり、2位を取る度に落ち込んだ。ある種の呪いのように、その言葉が思い返されるのだった。しかし器用貧乏も良い事かもしれない。三日坊主も非難的な言葉だけど、何もしないよりとにかく始められる人ってめちゃくちゃすごいのではないか!?そう考えると、器用貧乏で三日坊主でミーハーな自分の事を少し好きになれた気がした。

 

〜コーヒー〜

 いつからか、食後のドリンクは必ずコーヒーを頼むようになっていた。僕も煮詰まりつつあるのかしれないな。これからは紅茶にしてみるのも良いかもしれない。最後のコーヒーを飲みながらそう思った。思い返せばいつもと同じように彼女は肉料理を、僕は魚料理を選んでいた。