ナイフに付いたケーキは誰の分になるのか

おかしい。何度考えてもおかしいーーー。

小学生の僕は不思議に思った。

1÷3は分数だと1/3になって、小数で考えると0.333…になる。3を掛けて元の1に戻そうとすると、分数だと1に戻るが、小数だと0.999…となり1に戻らない。分数で考えた時と小数で考えた時に誤差がある。母に聞くと、それはニアリーイコールを使うんだよ、と点を二つ付けて1/3×3≒0.333…×3にしてくれた。じゃあやはりそこに誤差はあるのか。数字自体に誤差なんかあるとまずくないのか。

 

「いや興味ねぇよ。」10年後、二人で入った居酒屋で上司が笑いながら話を遮る。

「そこに誤差があったとして、俺らの生活にどう影響するんだよ。」

「なんでですか!?色んな根拠に使われる、数字自体が破綻してるんですよ!?例えば、ホールケーキを3人で分けるとき、ナイフに付いたクリームは誰のものになるのか、三人兄弟の僕としては…。」

「そんなもん兄貴でええやん。」

「三つ子だったらどうしますか。」

「身長が一番高いやつや。」

「体重で決めてもいいですか。」

「なんでもいいわ。ナイフについた分なんて要らんし。てかそんな数字のこと、気にしたことないわ。馬鹿と天才は紙一重とか言うけど、お前はあれだな、変だな。」

「馬鹿の仲間にすら入れてもらえないんですか。」

「そんな細かいこと考えたことないわ。哲学とかは割と好きだけどな。」

「哲学も人の生活に意味なくないですか。」

「哲学はあるだろ!どうして人は生きてるのか、とか病んでる人を何人かは死から救ってるやろ。知らんけど。」

「一層悩んでしまいそうですけどね。いやそれでですね、大学で勉強した数学でそれが解決したんです。」

 

昔から数字に興味があったからか、大学生になった僕は相変わらず数学の講義を受けていた。そこでε-δ論法というものを知った。それは高校数学にある収束の考え方を厳密にしたもので、その内容は省略するが簡単に言うと、0.000…1は0に収束しているから1/3=0.333…の等式は成り立つ。そこにニアリーイコールはいらない。ナイフについたケーキはほぼ無いに等しいから気にするな、という事だ。皮肉なことに、深く考えてない母や上司は結局正解だったのだーーー。

 

「それで思ったんですけど、クソ真面目に考えても、適当に考えても、結局行き着く先は一緒なんですよね。」

「最後まで聞いたけど、やっぱり興味ないわ。」

「でも、最後のちょっと哲学みたいじゃないですか?」

「お前はやっぱあれだ、変だ。」